スターリンの死以降 ≪スターリン・人物・歴史≫
1953年のスターリンの死によって始まった自由化のなかで妊娠中絶が合法化され、離婚条件も緩和された。
68年の家族法では協議離婚、婚外子認知制度が認められた。
以後ソ連はアメリカに次ぐ離婚大国となったが、女性の再婚率は高くない。
戦争による男性人口の減少によって、第二次世界大戦後の労働力として女性の社会進出が進んだこともその一因であった。
戦後40%台後半であった労働者・職員の女性比率は徐々に上がり、70年代~80年代にはつねに51%を維持した。
病人などを除く成人女性はすべて就業し、専業主婦は存在しなかった。
最高会議代議員の32%は女性であり、医師や教師は80%を占めた。
教育の機会均等、男女同一賃金、母性保護と保育は保障されており、相変わらずソ連は世界でもっとも女性が解放された国だとされた。
1963年テレシコワは女性では世界で初めて宇宙飛行をし、国際舞台でのスポーツ選手や芸術家の活躍は目だっていた。
しかし1977年に国連が発表した世界の女性地位調査では、ソ連は11位であった。
女性の職場は低賃金の職種が多いし、昇進が遅いこと、男性の家事分担が少なく、勤め・家事・育児の三役をこなす余裕のない生活、行列、不満の多い託児所、劣悪な中絶手術、非近代的な台所など女性の不満は社会の底流に蓄積されていた。
政治や労働組合活動においても決定権をもつポストはほとんど男性が握っていた。
70年代~80年代にはパート労働の奨励や育児休暇延長などによって女性の労働条件が向上したが、これは少子化対策のためであった。
68年の家族法では協議離婚、婚外子認知制度が認められた。
以後ソ連はアメリカに次ぐ離婚大国となったが、女性の再婚率は高くない。
戦争による男性人口の減少によって、第二次世界大戦後の労働力として女性の社会進出が進んだこともその一因であった。
戦後40%台後半であった労働者・職員の女性比率は徐々に上がり、70年代~80年代にはつねに51%を維持した。
病人などを除く成人女性はすべて就業し、専業主婦は存在しなかった。
最高会議代議員の32%は女性であり、医師や教師は80%を占めた。
教育の機会均等、男女同一賃金、母性保護と保育は保障されており、相変わらずソ連は世界でもっとも女性が解放された国だとされた。
1963年テレシコワは女性では世界で初めて宇宙飛行をし、国際舞台でのスポーツ選手や芸術家の活躍は目だっていた。
しかし1977年に国連が発表した世界の女性地位調査では、ソ連は11位であった。
女性の職場は低賃金の職種が多いし、昇進が遅いこと、男性の家事分担が少なく、勤め・家事・育児の三役をこなす余裕のない生活、行列、不満の多い託児所、劣悪な中絶手術、非近代的な台所など女性の不満は社会の底流に蓄積されていた。
政治や労働組合活動においても決定権をもつポストはほとんど男性が握っていた。
70年代~80年代にはパート労働の奨励や育児休暇延長などによって女性の労働条件が向上したが、これは少子化対策のためであった。
update:2010年02月25日
